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大覚寺の嵯峨菊

2019.11.11(月) 曇り
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 かつては門外不出となっていた、大覚寺の嵯峨菊。江戸時代には各地で菊作りが奨励され、江戸、伊勢、肥後、美濃等の古典菊が作出されていました。江戸・肥後と並んで三大名菊と賞されていた嵯峨菊は、もともとは大沢池辺りの野菊だったそう。嵯峨天皇が手折られたそれを、長い歴史の中で、品種改良し栽培様式を洗練させていった、「雅な」菊です。
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 御殿の上から観賞するためでしょうか、草丈は2mと高く、花の数も上から3・5・7輪と決まっています。葉についても何か書いていましたが、ため息が出て、覚えるのはストップしましたよ(笑)
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 大沢池の周囲全部が昔は大覚寺境内だった等々、講師の先生の諸々の説明を聞かず、綺麗な紅葉の色に見入って写真を撮っていました。
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 でも真面目に聞いてもいるんですよ。聞いたことの大半は、右から左だけれど(笑)今回覚えたのが、金の蝉。
 江戸時代に東福門院和子が住まいしていた御殿を下賜された、寝殿造りの建物に、蔀戸(しとみど)を上げた時の留め具に、金色の蝉がいました。何のための飾りかというと、防火のおまじない。蝉が飛び立つときに・・・と聞いて、笑ってしまいましたが、昔の大工さんや職人さんは火事にならないようにと、祈る気持ちだったんだろうなと思ったことでした。
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 嵯峨御所とも呼ばれ、皇族が門跡(住職)を務めてきたので、立派な勅使門や、寝殿造りの優美な佇まいなどに、格式の高さがうかがえます。また生け花の嵯峨御流の家元だけに、和服姿の女性も出入りして、お寺の雰囲気とは違うものがありました。

 この11月末で民生委員を若い人に替わってもらうことになりました。2期6年を手伝ってもらった協力員さん2人と、今日は解散会のランチに出かけました。務めはなくなってもランチ会は続けようって(笑)



by kochira703 | 2019-11-11 21:22 | 花巡り | Comments(6)
Commented by ちこ at 2019-11-11 22:22 x
民生委員 ごくろうさまでございました。長い間大変でしたね。花にかかわれる時間が増えますね。もっともっと魅力ある庭になっていくことでしょう!楽しみです!

Commented by 夕菅 at 2019-11-11 23:32 x
嵯峨菊は「花の数も上から3・5・7輪と」。
高貴なところでは菊までがんじがらめ、たいへんですね。
先週は黄菊とピンクの「もってのほか」、初めて酢の物にして食べました。それぞれ袋にぎっしり詰まって150円!
民生委員、経験はありませんが、大変なお仕事でしたね。
ごくろうさまでした。
Commented by くい at 2019-11-12 15:06 x
やっぱり京都はいいですね。
昔、職場のストレスがたまっていたころは、けっこう通ったもんですが・・・
ストレスなしで行けば、もっともっといいかもね。(笑)
Commented by kochira703 at 2019-11-12 20:56
ちこさん、こんばんは。
大したことはしていないのですが、それなりの時間を提供していたので、やっぱり庭の時間が増えていくかな?
Commented by kochira703 at 2019-11-12 21:08
夕菅さん、こんばんは。
文脈からして想像はつくけど、なんじゃいなと、
「もってのほか」を検索。食用菊なんですね。シャキシャキと美味しいとか? 
6年間に非常事態がなくてよかったです。(と言っても、まだ18日間ありますが)できる範囲でいいとは言え責任はあるので、肩の荷が下りてホッとします。
Commented by kochira703 at 2019-11-12 21:11
くいさん、こんばんは。
京都はゆっくり、じっくり見て歩きたい所ですね。
昔、文字や写真で見ていた古典の世界が、今に伝えられている所も多いからねえ。
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